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5)飼い主に都合がいい。 
おはようございます。深夜、サッカーの試合をテレビで見ていたせいで、眠れなくなってしまいました。本来夜型なのですが、この原稿は早朝に書いています。本日もよろしくお願いいたします。

飼い主に都合がいい。 

犬に服を着せることが、人に対してのマナーになることもあるのだということを書きました。(頼まれもしないのに)

一方、他人にとってマナーになると同時に、飼い主にとっても都合が良い場合があるのです。今日はそのことをお話します。

例えばレインコート。

これもまた「なにもそこまでして、外に出なくても」と言われそうなのですが、(まあ飼い主も雨の朝はそんなには出たくなかったりするのですが)排泄を外でなければできなくなってしまってるのです。うちの犬の場合。

これはしつけの失敗とも言えるのですが、外に出してやらないとカワイそうなわけです。

そして雨が降ると合羽を着せると言う、傍目には過剰な犬馬鹿に見えてしまうことになっているわけです。

パグなどの短毛種の場合、ちょっとくらい濡れても「ブルッ」と一震えすれば乾いてしまうのに対して、ポメラニアンなどの場合は大変です。

被毛が濃く、拭いても拭いても中々乾きません。きれいに拭かなければ室内が汚れてしまうので、ずぶぬれになってしまうと、ドライヤーをあて、タオルで拭い、30分くらいは簡単に時間が過ぎてしまうのです。

朝、これをやる時間は中々に取り難く、やはり雨の日のレインコートは必需品になってしまうのです。

また肢の短いダックスフンドやコーギーなどの犬種の場合はお腹が汚れがちなので服を着せることは飼い主にとっても合理的などよいうこともあるわけです。


 + + + + +

いかがでしたでしょうか。

犬に服を着せることについて、着せる派を代表して述べてみました。

異論、反論もあろうかと思いますが、当方は反論に反論するほど知力・体力・気力に優れたものではありません。打たれ弱いこと甚だしく、反論されるとすぐに畏れ入ってしまいますので捨て置いていただけましたら幸いです。

犬に服を着せることについては、反対派の気持ちもわかるのでここまで書いたというのも事実です。

あまりに過剰なドレスや天使の羽がついた服なぞ、着ている犬を見ると、なにやらもやもやした気持ちになるのも事実です。

それは、短い毛の坊主頭なのに、襟足だけミョーにロングヘアーの子供を見ると沸き起こる、あのもやもやに似ているようにも思えます。



| 犬に服を着せる | 01:43 | - | - |
4)それが人に対してのマナーになる。
今日もいい天気のようですね。朝夕は随分涼しく、過ごしやすくなってきました。それでは昨日の続きをお話しいたしましょう。

それが人に対してのマナーになる。

犬に服を着せることについて、犬の気持ちを想像して、犬の側に立って服の必要性をお話してきました。

しかし犬に服を着せることというのは、人にとって有益なことである場合も多いのです。

例えば、長毛種の犬の場合、その毛の抜けよう(量)にはすごいものがあります。薄毛に悩む中年男性が朝、ブラシについた抜け毛に驚くの比ではありません。

例えば犬の飼育を良しとしているマンションの規約で、「ベランダで犬をブラッシングしてはいけない」というのを見たことがあります。

ラブラドルレトリーバーなどの大型犬の場合、ブラッシングで抜ける毛の量はすさまじく、一月もあれば子供のセーターが編めそうか思うくらいです。その毛がベランダなどで落ちれば、風に舞って周囲の迷惑になることは容易に想像できます。

つまり、散歩や他所の家を訪問などする場合、服を着せることで抜け毛の迷惑をかけることが少なくて済む、ということもあるわけです。

また最近は腰巻きのようなベルトも販売されています。

これはまあパンツ代わりだと思いますが、やはり生き物であるだけに下半身にはいろいろあるわけです。

排泄や生殖のための器官がむき出しでは人間にとって見た目が悪いということもありますが、また人間のために作られたテリトリーを汚してしまうということもあります。

犬に服を着せることは意外に人間のマナーに適うことも多いのです。


よりによって今朝は我が家の犬が、私の仕事場でおしっこちびるという事件がありました。掃除をしていたせいで長々書くことができなくなってしまいました。

それでは、また明日。

ひとまず、さよなら。

| 犬に服を着せる | 09:34 | - | - |
3)犬はもはや野生(の動物)ではない
おはようございます。今朝は「犬はもはや(野生の動物)ではない」ということについて語らせていただくことになります。

3)犬はもはや野生(の動物)ではない。

犬に服を着せるということに反対の方々が「犬は動物なんだから」「犬は野生なんだから」と言うのを聞いたことがあります。

「動物なんだから」という言葉の意味は「動物なんだから暑かろうが寒かろうが構わない」或いは「動物なんだから我慢できる」「我慢しろ」などということでしょうか。

この「他者の痛みは千年我慢できるぞ」的な考えに行き着いてしまうと犬馬鹿の人々がいくら「わんちゃんだってかわいそー」などと語ろうとも、お互い取り付く島がないというものです。

一方「動物なんだから」と似ていますが「野生なんだから」という意見には、反論の余地がありそうです。

※ここで「野生なんだから」といっても、厳密に野生だと言っているわけではなく、「人間と比較すれば野性に近い」という意味で「犬は野生(の動物)なんだから」と言っているのだろうと思います。

野生の犬、野犬。

地方都市の郊外に育った私は、子供のころ、野犬に学校のウサギ小屋が荒らされたとか、畑が荒らされたとか、そういう話題をよく聞いたものです。

今はどうなのでしょう。野犬は都市部では絶滅してしまったのではないでしょうか。猫に比較して日本の犬はほぼ人間の管理下にあり、ノラ犬が生きていける環境にはなくなってしまったように思えます。

実際に「野生の犬」というのはほとんどいなくなっているわけです。

- - -

次にペットとして飼われている犬のことを考えてみましょう。

私はポメラニアンを飼っているのですが、当然ながらポメラニアンは野生ではありません。

野生のポメラニアンが、野山を駆け回り、集団で畑を荒らし…などということは聞いたことがないからですが、同じく野生のミニチュアダックスとかコーギーなども聞いたことがないように思えます。

※一時、捨てられたシベリアンハスキーが野生化(野良犬化)した、という事実が報道されたことがあります。悲しいことですが、日本では野生で繁殖できる可能性も小さく、話は終息してしまっているようです。

つまり、ペットとしての犬は野生ではないということです。(当たり前か)

- - -

「ポメラニアンだろうが、何だろうが、犬は犬、人間じゃないんだから。もともとは野生なんだよ」

などと叱られてしまいそうですが、こうも思ってしまっています。

人のほうが野生ではない、というのは本当でしょうか。

野生ということの定義が何か、ということを明確にしないと話が進めにくいのですが、長くなるので、「寒さ」をキーワードにフォーカスして考えてみましょう。

私は京都に住んだことがあります。京都の古い町屋は隙間風が入る、がらがらの構造になっていることが多いのです。寒さよりは盆地の暑さに対処した構造だと思ったものです。

冬は暖房といっても火鉢や囲炉裏の火だったのでしょう。窓辺には雪が入り込み、正直寒かっただろうと思います。

江戸時代はもちろん、暖房設備と家屋の構造が大きく変わる現代に至るまで、多くの日本人は寒さに耐えて生活をしていた、そう思うわけです。

つまり、私のじいさんくらいのご先祖は随分寒い冬を経験しただろうと思うわけです。

また庶民として生まれた私のようなものの先祖は、江戸時代、おそらく貧しい百姓か何かであったろうと想像します。

隙間風の吹きすさぶ掘立小屋のような家に住んでいたのではありますまいか。

この江戸時代を仮に200年前のこととして考えてみましょう。文化4年。ときの将軍は徳川家斉、ナポレオン皇帝即位はその3年前、杉田玄白が「蘭学事始」を刊行するのがその9年後という歴史の中のことになります。

わかりやすいよう人間が20歳で子供を生むとすれば、200年前のこの時代、私の10代前の先祖が生きていたことになります。

10代前はチョンマゲであります。

翻って犬はどうでしょうか。

犬は2年もたてば子供が産めますので、仮に2年で1代とすれば、10代前の先祖は20年前の1986年に生きていたことになります。

1986年と言えば、大きな事件ではチェルノブイリ発電所の原発事故が起こった年であり、織田裕二が映画「湘南爆走族」でデビューした年なわけです。(公開は'87年?)

私のご先祖は10代前にチョンマゲだったのに、うちの愛犬の10代前先祖は織田裕二をテレビで見ていた可能性があるわけです。

遺伝子に先祖の記憶がそうやすやすと書き加えられるとは思いませんが、私のご先祖が寒々と煎餅布団にくるまってやっとのことで冬を乗り切っていたというのに、愛犬のご先祖はセントラルヒーティングの完備されたマンションかもしくは、薪ストーブの前で鹿の皮の敷物か何かの上でぬくぬくと冬を過ごしていたという可能性は多いにあろうというものです。

代々寒さに強いのはどちらだと言えるのでしょうか。

どちらが野生に近いのでしょうか。

人のほうが野生に近い、とも言い難いのですが、いずれとも判断しにくいと思わざるを得ません。

というわけで、犬はもはや野生の動物ではないと思う次第なのです。

長くなりました。

それではまた。ひとまず、さよなら。


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| 犬に服を着せる | 09:59 | - | - |
2)犬にも事情がある。
きょうはその2「犬にも事情がある」について稚拙ながら私見を開陳することといたしましょう。

犬にも事情がある

犬も「寒いよりは寒くないほうが寒くない」ということを昨日述べたわけですが、これは個体差や犬種などによって大きく違ってきます。

ある寒い冬の朝、近所のシベリアンハスキーがよりによってキンキンに冷えているであろう、庭先の大理石(か鉄板みたいなものと記憶)の上でくつろいでいるのを見たことがあります。

思わず「それじゃ寒いだろ!」と心中でツッコミを入れたわけですが、おそらくシベリアンなハスキーにはちょうど良かったのかもしれません。

まあ、北極グマに寒さの心配をしても仕方がないだろうと思いますので、私もハスキーに服を着せるのはいかがなものか、と思います。犬にもいろいろあるわけです。

「犬は寒くないんだよ!」

と犬に服を着せることに怪訝な顔を向ける御仁の多くは犬をいっしょくたにしすぎているのではないか、と思うわけです。

犬ほど犬種によって差が大きい哺乳類は他にないのではないか、と思います。(違うかもしれませんが)

チワワとグレートデンの体の大きさの違いといったら、猫ひろしとコニシキの比ではありません。

(サルも手のひらにのるサルから、オラウータンのようなサルまでいますが、これは遺伝子上、交配することができないので犬といっしょとは言えないのでないかと思います)※ちょっとこの辺、事実と異なるかもしれませんので、ご容赦下さいませ。


さて、犬種により、一口に犬といっても差があるのだ。ということを言いたいのです。

例えばイタリアングレイハウンドチャイニーズ・クレステッド・ドッグ、などといった毛の少ない犬にとっては寒さは大敵です。

またそんな希少な犬ではなくても、我が家の犬のように、事情があって毛が抜けた犬などにとっても寒さは辛いものと思われます。

毛の少ない犬にとっては寒さのほか、虫刺され、植物マケ、擦り傷・切り傷など外からの刺激より身を守るためにも服は重要になってくるのです。

※服というものを人は普通ほとんどの時間着ているため、それが身を守るものだということを忘れているのではないかと思うことがあります。
テレビでタモリ氏が、全裸で料理を作っていると熱いやら何やらでせめて全裸の上にエプロンは必要だ、みたいなことを言っていたことがあります。まさにご賢察。凡人には気づきにくいことであります。


毛のない犬には服は有効であるということがわかっていただけたのではないでしょうか。

さらに、特殊な犬種や毛の無くなった訳アリの犬ではなくても、子犬や老犬が寒さに弱いことも知っておいてほしいことです。

これは人間と同じです。

いくら犬が走るのが好きでも、老犬になっては膝が痛いとか、腰が痛いとかいろいろあるのです。

いかがでしょうか。

犬にもそれぞれいろんな事情があるというわけです。

それでは今日はここまで。

ひとまず、さよなら。

| 犬に服を着せる | 14:51 | - | - |
1)犬も寒い
さて、それではその1「犬も寒い」から説明させていただくことにしましょう。

犬も寒い

犬は寒さに強い。いや寒いということ自体が大好きである。という認識が人々の中に強固に存在しているのではないかと思うわけです。

日本人なら誰もが歌える童謡「雪」(雪やこんこというあれ)で、犬は雪の中を「喜び庭駆け回る」とあることがその一つの原因であろうと思います。

この極めて日本的な原風景を描写した童謡では、おそらく犬も和犬であろうと思われます。作詞者は不明なのですが、戦前の文部省唱歌でもあるこの歌に歌われている犬がボルゾイだったり、ヨークシャーテリアで名前がショコラであったりするわけがありますまい、と思われます。

柴や秋田などの和犬や、もしくは日本に古くからいる雑種は確かに寒さにも強いと思います。

またそれらの犬は外飼いの犬であったろうことは想像に難くありません。日本で犬を飼う時は、その体の一回りくらいしか大きくないボロ小屋に、夏も冬も繋いで飼うという、飼い方でした。

想像してみて下さい。結構きついです。

(犬小屋というのも、大抵オヤジや子供による日曜大工の産物で、犬の快適さを追及するというよりは、材料や技術による制約によって作られており、お粗末というか哀れを誘う風情でありましょう)

というわけで雪やこんこで、歌われている犬は、雪がふるほど寒い中、雪が降ったことでアドレナリンが湧出し興奮した子供が外に出たついでに、犬を放すという行幸にありつけたせいで、庭駆け回っていると想像することができます。

つまり、寒いということ自体を喜んでいるわけではないということです。


現代では犬を家の中で飼うということも普通になってきました。

実際、犬を家の中で飼うと、外で飼うのとは比較にならないくらい犬の気持ちを見せつけられることになります。

犬の快・不快、喜怒哀楽を思い知らされます。

犬にも表情があり、大好きなチキンジャーキーを目の前にすれば、目を見開いて舌なめずりして、シッポをちぎれんばかりに振ったりします。

これは同じ哺乳類として、「喜んでいる」としか思えないわけです。(この様子を見て「悲しんでいるかもしれないではないか!」と思うような人があれば、その人は社会性に問題がある可能性があります)

それと同じように、犬も寒い日は布団の中に入ってきます。寒がっているとしか見えないのです。

犬だって寒い日は寒いし、暑い日は暑い というわけです。

あたりまえじゃ!と思われるかもしれませんが、このことを身をもって知ると、寒い日は犬を裸で連れまわすことがしにくいのです。

長くなってしまいました。今日はここまで。
ひとまず、さよなら。

| 犬に服を着せる | 14:05 | - | - |
犬に服を着せるのには理由がある。
最近でこそ、普通になっていますが、犬に服を着せることに対しては今でも若干抵抗を感じる方がいるようです。

「だって犬だろ!」

そういう声に対して、「何ゆえに犬に服を着せるのか」犬好きがきちんと答えていなかったことに責任がある、そう思います。

この、一見どうでもいい問題に対して、犬馬鹿を代表して真面目にお答えする次第です。

そんなこと答えんでいい、という圧倒的な無言の圧力をものともせず)

そして、その驚愕の5つの答えとは!

  1)犬も寒い。

  2)犬にも事情がある。

  3)犬はもはや野生(の動物)ではない。

  4)それが人に対してのマナーになる。

  5)飼い主に都合がいい。 


それでは、明日から一つずつ答えを述べていくことにいたしましょう。

ひとまず、さよなら。



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